8月8日

 私は物心がつくのが遅かった。小学生になってもまだ私の世界は薄皮で覆われたようにぼんやりしていて、色々な記憶が残り始めるのは、ようやく9歳頃からだと思う。私は勉強的にはある程度優秀な子どもだったが、世界や人間というのがあまりよくわかっていなかった。今でも少しわからないところがある。9歳以前の記憶は、殆ど私には象徴的な預言のような、あるいは精神の原風景のような物として、私の中にいくつかだけ残っているだけだ。
 そんな私の古い古い記憶の一つが、家族と見た花火大会だった。毎年地元の花火は8月8日に開かれ、私が7歳の頃から今年で31回目を迎える。その大半を私は見ているが、生まれて初めてみたあの7歳の時の花火を忘れることが出来ない。まだ家の周りは今のように開発されておらず、湖へと通じる大きな県道があるだけで、その県道を家族と一緒にそぞろ歩いている間に、目の前に大きな大きな火球が上がった。それまで大きな花火など見たことがなかった幼い私の心に、その大きく美しい火球は今でも眼前に思い出せるほどに強く焼き付いた。今はもうないビルの壁に、あの時の白い炎と赤い炎の色が綺麗に反射して、高い高いビルの上のさらにその上にまで火球が到達している様は、小さかった私を圧倒した。直後の轟音。少しだけ怖かったことも覚えているが、私はその光景に強く魅入られた。だから私は、毎年花火の写真を撮る。多分その過程で、私にとって最初の、もの凄く大事な記憶の一つを私は追い求めている。過去へとさかのぼる。我々は、過去へ過去へと常に流されながら生きる。そこに源流があるからだ。力の限り、未来へ向かうための。
 8月8日は、だから私にとっては精神の決算日のようなものだ。私はこの一年何を失い、そしてわずかに何を得たのか。そんなことを考える。今年もようやく終わり、そして今年もようやくはじまった。生きる。