30年前のある夏の日

 残暑の厳しい夏の終わりのころだったと思う。体育館に集められたN小学校の生徒たちは、戦争で手や足を失った人たちのライブを聴くことになった。一曲終わるごとに戦争がどれだけ悪いことで、どれだけダメなことかを我々小学生に訴えながら、陽気な曲で我々会場を埋め尽くす小学生を楽しませた。最後の曲が終わったとき、バンドのリーダーらしい左手を失ったヴォーカルの男が、我々小学生に語りかける。

「今日の演奏と、僕らの話を聞いて、君たちが戦争反対だと思ったら、勇気を出してその場で立ち上がって欲しい!」

体育館で体育座りでライブを聴いていた我々小学生は、突然の成り行きに驚いて周りを見渡す。全校生徒が座っている中で最初に「誰」が立つのか、みんな周りを見渡すだけで、誰もが最初の「一人」にはなろうとしなかった。当時3年生だった私は、ライブにいたく感動した。曲の中に大好きなビートルズがあったからだ。一緒に鼻歌を歌いながら聞いた素敵なライブだった。その心地よい時間に対して、私は何らかの感謝の意を示したかった。私は、周りを見て、意を決して立ち上がる。すると、全校生徒の目が一斉に私に注がれる。その恥ずかしさ、その気まずさ、後悔といたたまれなさ。私の後に誰か続いてくれるような人がいるかと思ったら、結局立ったのは私だけだった。ヴォーカルは早々にその話題を撤収して、私はなんともなしに、その場に座り込んだ。恥ずかしさで顔を上げられなかった。でも、自分が楽しんだことを伝えられたと思ったし、戦争は悪いことだという同意を示せたことは、ほんの少し嬉しかった。いや、多分、とても自分を誇らしく思った。

 全てが終わって、放課後。私はランドセルに荷物を詰め込む。他の生徒たちは、もう帰ったようだった。先生が一人教室に残っていて、一言ポツリという。

「あいつら、すごい額の金を要求するんや。教頭もなんであんなやつらを・・・」

その言葉が何を意味するのか、当時の私にははっきりとはわからなかったが、それでもそれが耳に入って来た時の強烈なショックは未だによく覚えている。自分の行為が的外れて、愚かで、そしてそれは私自身のせいではないにも関わらず、私の行為はひどく滑稽で、みすぼらしいものになったという直感。多分左気味の役職付き教員たちの暴走だったのだろうが、学校は「人権ビジネス」に一杯食わされたのだ、あの時の私は。その利権構造の複雑な入り組み方を小学生の私には見抜くことさえ出来なかったが、少なくともその恥辱、逃げ出したい程の悔しさは今でも忘れることが出来ない。私があの瞬間立ち上がった姿を、教員たちはとがめることも出来ず、苦々しい気持ちで見ていたであろうことだけは、私は直感で理解した。

 今、氷水を頭からかぶるキャンペーンが流行っている。最初は純粋な気持ちで、途中からお祭り騒ぎに、中折れしたチャリティがいつもそうであるように、もはや最初の動機はお祭り騒ぎを正当化するためのレッテルに過ぎない。そしてそれに対する強烈な反感と反発のモード。24時間テレビ前後に飛び交う既視感のあるあの光景が繰り広げられる。ただ、そういう中で私は、あの時の小学生の私のような子どもが氷水をかぶっていなければいいが、と思う。世界が全て汚れきっていればいいのにと、私は思う。残念なことに、世界はまだまだ純粋なのだ。子どもは特に。