写真を撮る

 写真を撮ることで現実世界の枠が広がりつつある。ひっきりなしにブログを書いてた頃の友人と会うことも出来た。それは思った以上に私にとっては大事なことだったようで、その時の暖かみや温もりというのを、一ヶ月以上経った今も、私は未だに大事な記憶として時々思い出す。
 私は、かつてネットの世界は逃げ場のように思えていたし、そこで書く言葉に何の重みも感じていなかった。だから私は、何か私にとって不都合なことがあれば、いつだって名前を変えて痕跡を消して逃げ出して来たし、そのことに大きな痛痒を感じていなかった。私は幽霊だったし、幽霊として存在し、活動することが許されたのが、私が生きたかつてのネット空間だった。個人情報がSNSを経由して溢れかえる今の世界では、そのような懐かしい「遊び場」はもう存在しないのかもしれないし、それでいいように思う。結局のところ私は私で、このネット空間は現実のどこかに存在している、現実的かつ即物的なサーバーと確かに繋がっている。もう、尻尾を巻いて逃げている歳でもない。少しずつ現実に適応していきながら、おずおずと私は写真を撮り続ける。
 その結果、私はまた何かを言うようになりつつあるというのも面白い。映像が言葉を喚起し、言葉はまた映像の中へととけ込んで行く。延々と循環して行くエネルギーの交換が、徐々に現実世界へとフィードバックされてまた私を作る。幽霊でも記号でもない。いやむしろ、すべてが幽霊で記号なのかもしれないが。