表象

 撮影枚数が10万枚を越えて来た頃に気づいたのだけれど、結局写真を撮るということと文章を書くということの間に、あまり大きな差はない。勿論これは語弊がある。正確に言うならば、ある人間が写真を撮ろうと文章を書こうと、結局そこに表象されるのは個々人の感情なり技術なり人格だということだ。出来上がったものは全く違うのだが、ある人間がある表象を学ぶときの、その姿勢やその傾向と言ったものは、入れ物が変わってもあまり大きく変わらない。私の撮った写真は私の書く文章にそっくりだし、そこには消えない痕跡のようにロマン派の影響を見ることができる。二つの媒体をフラフラと移動することによって、私はより私自身を知るようになる。それは二つの言語を行き来することで、より母語を知ることができるようになるのに、部分的に似ている。